ウェブ時代をこう生きてみたい

ウェブ時代の「私」はネットの中にいる。それは「虚構としてのもうひとりの自分」といったファンタジックな捉え方でもなく、安っぽいCGの世界に置かれた醜い人形に自分を託しているのでもない。ネットの中に文字通り「私」が居るという感覚だ。
生身の自分が送り出す、言葉やディジタルカメラの画像や音声データ等の情報(おそらくその大部分を占めるのは言葉)、が「私」を構成している世界なんて、過去のどの時代にも起こりえなかったし、過去のどの人たちも想像することができなかっただろう。まして、言葉とディジタルデータでできた「私」達の社会では、言葉や写真でできた爆弾が物騒な武器になってしまうという現在の状況に至っては理解不能な世界ではないだろうか。
確かにすごい変化だ。
どんなに大きな時代の転換点であっても、渦中にいる当人たちは「今、何かが変わろうとしている」と熱く語り合うのではなく、時代の渦にもまれつつも普通に生き普通に暮らしながら変化をじっくりと体感していたんじゃないだろうかと思う。変化を起こす人にとっても、それを受け入れる人とってもだ。歴史の中では一瞬に見える5年間であっても、生身の体にとって1826日間であることに変わりはない。私がネットの中で生きていけば、それが勝手にウェブ時代を作って行くのだろう。
今が大きな変換点のまっただ中だとしよう。飛び抜けて普通の人である自分にもそれは実感できているような気がする。もちろんそれが錯覚だったという可能性はある。でも、今までに感じた変化とは異質の物であるとしか思えないのも確かだ。それが解るのは20年後の人たちかもしれない。そしてその20年後の人たちは、普通の人たちの周辺に起きた変化を、ネットの中に誕生した「言葉とディジタルデータでできた私」を観察することで知るのかもしれない。まるでミイラを調べるかのように。

「ウェブ時代をゆく」欲しい!